Menard(メナード)
スペイン人の設置したキャンプがありましたが1758年に放棄されましたが、1857年にMenard郡が政府によって制定されることに伴いMenardvilleとして始まりました。2年後の1859年に近くのMcKavettの要塞が閉鎖され、原住民の襲撃から身を守るのが一時大変でした。1899年にはSan Saba川の氾濫によって町は被害を受けましたが
復興しました。1910年代初めにFort Worth and Rio
Grande鉄道が線路を敷くことに決めましたが、Menardvilleは看板に入りきらないということでMenardと短縮されました。1930年代に
エージェントを雇って開拓者を募り、農業の仕方を教えることにより人口も増えて1940年には約2,300人でした。高速道路の発達により
移動手段も変わり、Atchison, Topeka and Santa Fe鉄道は旅客事業を1972年に廃止、駅舎は寄付されました。町にはThe
Ditchと呼ばれる堀がスペイン人によって1757年ごろに延々と作られており、潅漑のほかに要塞を作る岩を載せた筏を浮かせる為だった
のではないかと推測されています。1757年と要塞と同時にできたミッション(Mission San Saba)ですが、4マイルほど下流に作られました。
翌年に原住民のコマンチ族に襲撃され、要塞に対して救援を要請しましたが間に合わず、住民は殺害され、建物は焼失しました。木造だった為にその後所在が分からなかったのですが、ある日農作業をしていた人が銃の弾が大量に出土するのを発見し、調査の末この場所が元ミッションだったと認定されました。(2015年7月訪問)
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サン・サバ砦の跡(Presidio de San Saba): - 191 Presidio Rd Menard, TX 76859
(Presidio de San Saba: Spainard in 1757- Menard, TX)
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旧Menard駅: 1911年に建てられたミッション復古調の駅舎 - 103 Frisco Ave Menard, TX 76859
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San Sabaミッション跡地 - 木造で建てられたミッションでしたが、ある日原住民に占拠され、いざかいが原因で牧師と他の住民が殺された後に放火され、長いこと場所が分からなかったのですが、農夫が開墾している時に銃弾を見つけた為に調査が行われて場所が特定されました。
- Calvary Episcopal Church Old Sacred Heart Catholic Church (1899) - Menard, TX
- Bevans State Bank (1903) - Menard, TX
- Australian Hotel: Built by William Saunders from Australia in 1880
- Fort McKavett (See Fort McKavett) - Menard, TX
- Mission Theater (1927) - Menard, TX
- Stockpen Crossing Park - Menard, TX
- Pioneer Rest CemetaryMasonic Lodge: (1896) - Menard, TX
- Luckenbach Building: 1903 - Menard, TX
- First Christian Church: (1905) - Menard, TX
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